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平成29年1月28日(土)勉強会 僧侶の衣装・仏具について

始めに当寺衆徒・白田光篤の調声により、正信偈・念仏和讃をお勤め致しました。
休憩後、当寺衆徒・桜井幸願より、普段なかなか聞く機会のない僧侶の衣装や持ち物のことをお話しさせて頂きました。

五条袈裟

【袈裟(けさ)】
袈裟の起源はお釈迦様の時代の古代インドです。もともとはボロ布をつぎはぎしたもので、捨ててしまうようなボロゆえに、執着心も争いも生まないという思想が込められています。袈裟には首から下げる簡易なタイプの輪袈裟、小さな布の一列を一条と数えて、五列になった袈裟を五条袈裟、七列のものを七条袈裟といい、条の数が多いほど格式が高くなります。阿弥陀像などを見ますと袈裟で両肩を覆っていますが、私たち僧侶は如来様に敬意を表して、右肩を出してまといます。五条袈裟には威儀(いぎ)と呼ばれる紐がありまして、結ぶ長さで位置を調整して正しく着用することから、「威儀を正す」という言葉が生まれました。輪袈裟は第十二代准如上人の時から用いられるようになりました。別名、畳袈裟ともいい、薄い五条袈裟を畳んで帯状にしつらえたものです。輪袈裟をしていれば五条袈裟をしているのと同じだというわけです。

【数珠・念珠】
数珠、または念珠ですが、略式の一重念珠や正式に百八つ珠が繋がった二重念珠などがあります。百八つというのは一般的には煩悩の数、また宗派によっては百八つの諸仏をあらわすとされています。さらに数という言葉にあるように、経を唱えた回数を数える道具としても使われます。浄土真宗では百八つの煩悩ととらえ、中を通した糸を煩悩を貫く御仏の悟り(智慧)とたとえています。
【衣】
仏教がインドから北の国々に伝わっていくと、上半身裸の上に袈裟をかけているだけでは寒いので、下に衣を着るようになりました。今でもタイなど温かいところでは裸に袈裟がけしていますね。昨年の築地本願寺での報恩講に出られた方は、こうした法衣や袈裟にも、いろんな色があるなと感じられたかと思いますが、もともと浄土真宗では墨衣、墨袈裟といい、黒が基本でした。第九代実如上人の時に、朝廷から紫や緋色の衣を下賜されました。紫は天皇や皇族など、高貴な身分でなければ身につけることのできない色でした。さらに、第十一代顕如上人の時には、門跡(本来は皇族や公家が住職となった格式高い寺のこと)の地位を頂き、以降紫衣・緋衣の着用も始まったとされています。他宗では、例えば天台宗などでは、位によって厳格にまとえる色が決められていますが、浄土真宗では特にそのような決まりはありません。

中啓

【中啓(ちゅうけい)】
中啓は少しだけ開いた扇子のような形をしていますが、扇ぐものではありません。啓には開くという意味があり、たたんでも中くらい開いた状態なのでその名がついたと言われています。仏事では手に持ったり、宗派によっては後ろ襟に差したりします。中啓は儀礼の飾りとしての役割がありますが、念珠や袈裟、経本などをその上に置く役割もあります。念珠や袈裟など本来、直に床などに置いてはいけない大切なものだからです。浄土真宗では、正式な仏事では、必ずこの中啓と二重の念珠を持って臨みます。
【僧階(僧位)】
第十一代顕如上人の時、門跡寺院の地位を授かったといいましたが、この時に顕如上人は大僧正(だいそうじょう)という、僧の最高の位も賜り、以来明治に入るまで本願寺派の門主は大僧正を名のっています。しかし、本願寺派では第二十三代勝如上人(現在門主の先々代です)の時に一旦こうした位をやめ、僧班(そうはん)という制度をもうけました。僧班は八席にわけられ、法事の際の座順なども、僧班で決められています。